割とマジでたまに悩んでいる事があります・・。
それは、3歳長女が毎日当たり前のように「パパくん」「パパくん」と呼ぶこと。
挙句の果てには、「おい、パパ君、絵本読んで!」とかいう始末・・。
昨日は、「おい、パパ君、ご飯粒残ってるよ!」※自分は食べてないくせに・・!
等とも言われた・・。
おおい・・パパの威厳が・・
なぜこのように「パパくん」となったのか?
それは、男の子は「くん」、女の子は「ちゃん」がつくと教えたころからだ。
この子なりに解釈して、親近感を持ってくれているから使ってくれているのだろうか?
古い見方で言えば「父親の威厳」は今後どう保つか・・?と考える一方で、このようなことをいっていたら即、表現の教育徹底!だったことだろう。そして「お父上」「親方様」「殿」とでも呼ばせていたのかもしれない(コラコラ)
なんだかんだいっても、パパが娘に【親近感】を持ってもらう事は有り難い事でもある。普通はママになついてパパの存在感なんて気薄・・いや既薄なものだから
※既薄:すでにそこにいるのに薄い存在(パパくんの造語です)
色々と育児について研究していて気付いたことがあった。
この親近感は子供の自己肯定感にも大きくつながるという事です。
それは子育ての本を見ていても記述されている内容ですね。
子供にとっての自己肯定感は、自分の「ありのままに振舞える」事に起因する。
アナと雪の女王で、エルサが「自己肯定感」をもてるようになったのも、ありのままの自分を受け入れることが出来たからですものね。※最初はわたしみたいにねじれたキャラになっていましたが・・。
娘がありのままに表現して親近感を持ってくれている今は良い傾向なのだろう・・。
と、勝手に考えています。(あぁ・・でもパパの威厳は・・)
興味深い事に、じゃあ、娘はママには「ママちゃん」というのか?に関しては・・。
実は言ったことが無い。
なぜなら、保育園の準備や食事の際に、妻は敢えて、少し長女を突き放しています。
それは、ADHDの子に歯止めを掛けさせるために行っている方法だからです。
ADHD傾向の子にとっては「何がダメで何がいいのか?」の区別がつかない。
よく育児本などをみると、叱らないのが子を伸ばすと書いていますね。
そして、理路整然と理由を言えば分ってくれる・・と。
いやいや、わかってくれないw
そんなに「できた子」ならば誰も苦労しない。
育児本のモデルになっている子はよほど「発達が整っている子」なのかと思う。
そのため自分たちで仮説検証を行い、ADHD傾向の子にどうアプローチをするか検討してみました。我が家なりの3歳児時点での教育方針は・・
①ダメなものはダメ、いいものはとことん褒める
②ダメと叱った後にできたら徹底的に褒める
③基本自由にふるまわせる、ただしやるべきことをやってから。
④怒るのはママ、理由を伝えるのはパパ。お互いの役割分担
⑤遊びは自由に、ただママの視野の範囲に入れる
⑥寝付けないのは運動不足。体操や公園遊び、徒歩を楽しくさせて疲れさせる
⑦0歳次女の育児に参画してもらう(長女による絵本読み聞かせ、語りかけ育児)
という事を取り組んでいる。
そのため、ママは視野にいれつつも長女と距離を取り、長女もママとはちょっと距離感をとっている。そして、その距離感を埋めているのが私(パパ)。
だいぶこの行動で長女も落ち着いてきました。
役割や目的をもって自分自身で動いてもらう事が重要でした。
理屈とか言い聞かせは、「うちの子」にとってはあまり効果的では無かったです。
ただ成長の過程に応じておそらくしばらくたったらこの図式も変わるものと考えます。
この変化の流れに応じて、我が家の方針はコロコロ変わりそうですねw
大変だけど、色々な仮説を検討できる場でもあり、それだけ娘たちを観察してあげられるきっかけにもなる。
研究者として、家族を見守りながら仮説検証と考察ができる・・
素晴らしい場だ・・ふふふ(マッドサイエンティストのパパくん)
そのマッドサイエンティストのパパ君が絵本をよんでやるさ。。
そう!
ノーベル化学賞を受賞された旭化成名誉フェローの吉野彰氏が科学に興味を持ったきっかけの本!
「ロウソクの科学」を読ませてやる・・。(もはや絵本じゃない)
リケジョになってくれるとうれしいな・・。
適度な距離感で親近感を持ってくれているうちに、ゆるふわ教育で科学女子に洗脳しようかな・・(笑)